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14日の警報のとき、ぼくは布団で横になっている長男の上に覆いかぶさった。掛け布団をたぐり寄せて頭から被った。その直後に大きく揺れた。

あれだけの恐怖を感じたのは福岡に住んでいたときの、福岡県西方沖地震以来で、あの日は出勤前にベローチェでコーヒーを飲んでいた。店のテーブルや椅子が左右に滑っていき倒れた。食器類が至る所で割れる音がした。あの地震ほど揺れを感じなかったのだが、夜だったせいもあり今回のほうが数段恐ろしく感じた。

16日の未明。長男が眠る隣で本を読んでいると再び警報が鳴った。14日よりも長く揺れた気がした。ぼくはまた長男の上に覆いかぶさり揺れが収まるのを待った。

隣の部屋では妻が生れたばかりの二男を抱えてテーブルの下にもぐっていた。

パニック症の発作が起きる。ぼくのばあいは過呼吸は起きないが胸のなかが大きく暴れるような感覚に陥り、いてもたってもいられない状態になる。症状をたずねられて、どういう状態になるのかを他者に説明するのにいつも難儀する。表向きにはあまりわからないといわれたこともある。ただ、じぶんのなかではどうにかなってしまうのではないかという追い込まれた状態に陥っている。一度そうなると30分-1時間はじぶんが使いものにならない。そのときに再び余震がきたらどうなるのか、という思考が自然に巡りさらに悪化する。

熊本や別府、湯布院や竹田とちがって大分市内は被害が少ない地域だ。最も被害の大きい熊本では義妹家族や友人が住んでいる。比較的熊本に近い竹田には妻の実家があり、また別府方面には義姉家族がいる。幸いにしてぼくの自宅は――家族も、お店も――どうにもなっていない。だから(あくまでも個人的にではあるが)被災地という感覚は薄いのかもしれない、というよりも被災地のなかの一部だと思うことや声にすることに対してとても罪悪感を覚える。怪我もなく家屋の損壊もなくまったくの無傷で現在では仕事に出ているじぶんが、絶対に被災者という立場にいてはならないのだ、その考えによってさらに息苦しくなる。

怯えてはいけない。不安でいることや不安であることを表に出すのを控えなければならない。元気でいなければならない。できる範囲で支援しなければならない。明日も仕事場で笑顔を…… 1週間前にはできていたはずのそれをパスする力がわいてこない。



(inside/outside)

Ino Hiro HP

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