インサイド/アウトサイド・ナラトロジー
右に曲げると激しい痛みが走る。左にひねると鈍い痛みで悩まされる。
それぞれ感じかたの異なる、痛みと痛みのあいだにはさまれた首を柔らかく揉みほぐした祐は、滞っていた血がようやくスムーズに流れはじめ、温まってきたころ合いをみはからって再び首を右にひねった。しかし痛みは少しも和らぐことがない。
昨晩は早めに床についた。久しぶりのひとり旅を翌日に控え、興奮と緊張で眠れず何度も寝がえりをうっていると、窓からみえる空は白みはじめ、しかし眠れないことを焦っても仕方がないとあきらめ、眠れないのならば眠らなければいいと肝をすえたすぐそのあとには眠りのなかに落ちていた。それからはひとつふたつの夢をみて――そのひとつはフランツ・カフカ「アメリカ」のカール少年と黒門市場に乾物を買いにいくという夢――、慢性副鼻腔炎で鼻が詰まっている祐は、眠っているあいだ開きっぱなしだった口のなかに乾いた空気をいっぱいに含み、カラカラになった舌の上に砂のようなざらついた味が広がる不快さを覚え次第に目が冴えてきた。そのときに気付いた首の痛みがいまでも続いている。
リビングでテレビをみながらくつろいでいた久実に首の痛みを訴えてみた。
「あらら」と心のない返事をしたきりで、久実は若手俳優がゲストに呼ばれているテレビ番組のほうに夢中になっていて、祐の訴えに取り合うつもりはないらしい。
「寝違えたかな」と続く祐の言葉にも反応を示さない。言葉が宙を舞った。祐の希望は空振りに終わった…… いやそうだろうか。希望はここで終わるのではなくここから始まるのではないか(※)。
二連休を利用して隣県へ一泊旅行をするつもりの祐だったが、ここでひとり旅のスケッチを展開していくことが、ひどく安直なことのように思えた。それよりも久実に「それは枕が合ってないからじゃない?」と吐かせ、新しい枕を買わせることのほうが、首の痛みを抱えながら旅にでることよりも重要な課題なのではないか。本来ならば、はじめの夫婦の対話のなかで久実が自発的にいうべき台詞だった。それにもかかわらず、画面から放たれている若手俳優の笑顔から滲み出た誘惑の香りに、祐の訴えの先にある希望はあっさりと空気中で分解されてしまった。首の痛みを訴えたにもかかわらず千載一遇の好機を逃したものの、これから自然な流れで運び転がし、どのようなかたちであれ、久実に「それは枕が合ってないからじゃない?」といわせることを目的に進めていっても良いのではないか。
※じぶんらしい小説を書かなければ、そこに書かれたものにじぶんをみることができない。じぶんが書いた、あるいはじぶんが書いているという実感がそこに伴っていないならば、直ちに筆を折るべきではないのか。もちろん、どんな文章であれ、じぶんが書いたものはじぶんが書いたものに違いはない。しかしそこにじぶんをみることができない小説ならば、じぶんが書く意味をも見いだせない気がする。だったら心の底から望むこと、胸に秘めた想いにしっかりと向き合い、寄り沿い、たったそれだけを軸にして筆を握ることをやってみても良い気がする。小説を書きすすめること? いや久実に「それは枕が合ってないからじゃない?」といわせること! これから出逢う人物や出来事のたしかなイメージを、いまだに定めていないが、すべては何れかが明らかにしてくれることを願って、久実が「それは枕が合ってないからじゃない?」ということだけを目的に、なんとなく身を任せていけばそれでいいのではないか。そこにじぶんらしさがうまれ、そのなかにじぶんをみつけることができるかもしれない。
祐はすでにまとめた荷物をもって玄関で靴を履いていた。その日、高校の同級生でもある神楽坂と会う約束をずっと前からしていたので、急きょ予定を変更することができなかった。リビングから「おみやげよろしく」という久実の言葉が祐の背中に投げ掛けられた。「乾物以外でね」
久しぶりに利用するJR大分駅は二〇一五年春にグランドオープンが予定されている駅ビル工事の着工がはじまったばかりで、駅とその周辺は鉄パイプの仕切りや赤いコーン、アスファルトの上で消えかけた誘導線にまるで規律がなく、雑然としていた。改札口が以前よりも奥の方へと移動されていることに気がつかず、祐は迷路のようになった駅の構内を歩きまわった。地元の駅であるのにもかかわらず、きょろきょろと壁の掲示や天井から吊るされた広告をみまわす祐は、異国の地にはじめて降りたったような戸惑いを隠せずにいた。周囲のひとびとがいまのじぶんをみても、まさか地元の人間だとは思わないだろう。いまだれかがじぶんをみたあかつきには、異質なものとして知覚されるに違いない、歴とした日本人であるのにもかかわらず(※)、まるでじぶんたちとは違う民族でもみるように、じぶんたちの日々のいとなみの舞台上から、否応なしに排除すべき存在、瞬時にそのように判断されるのだろう、と祐は自ら周囲のひとびとに対してふすまをピシャリと閉める。
※そのことを通して祐ははじめて日本人であるという意識を強く持った。あたり前のように住んでいる場所がいつの間にかあたり前のようにそこにあるという場所になっていて、そこに住む人間である以上、そこの民族であるという、頑固な思い込みによって疑うことなくじぶんは生きている。固有名詞が日本特有のもので、じぶんは日本人であると決めつけていたとしたら案外、それは短絡的すぎることなのかもしれない。事実はあくまでもイメージのなかから生まれるものではなく、そこにある情報がじぶんにもたらされて、はじめて事実として知覚されるべきではないだろうか。それだけ少ない情報とじぶんの頭のなかに生まれた解釈をたよりに作り上げられたひとつの像とは、ひどくあいまいなものでしかないのかもしれない。
博多行き特急ソニックは大分駅が始発なので電車の到着をホームで並んで待つこともなく席を確保できる。祐はいつも通り七号車の最後尾に座った。席につくとすぐにデイパックから文庫本を取り出し、小倉駅に到着するまで読書を続ける。旅の荷物のなかにまぎれさせる本がどのような類なのか――小説か実用書か、漫画か。その選択はこの旅をどのように導いていくか、旅をどのようなテーマで進めていくかという重要なツールとして機能することも熟考しなければならない。あるいは脈略も意図もない、ひとつのファッションアイテムとして、それを出すばあいだってある。音楽でいえばビートルズやローリングストーンズといっただれでも知っているバンドを使うには、あまりにも平凡でじぶんのポリシーに反するし、かといって暴力温泉芸者や非常階段といったノイズ・ミュージックを用いるのはかなり捻くれている証しになる。洋服でも、じぶんが好きなコムデギャルソンを着るのはあまりにも便利すぎるし、グッチやルイヴィトンではまったく毛色が異なってくる。それと同じで、鞄につめる本がどのようなものなのか、というのはカラーを決めてしまう行為になるのではないか。ここで梶井基次郎を出すのか、フランツ・カフカを出すのか、あるいはもしドラか。祐は散々悩んだあげく、ある推理小説を選び、だれからもその装丁をみられることがないようにあらかじめブックカバーに包んでいた。
四〇分あまりの電車の旅は小説のなかにあった。泡を吹いて死んでいった岸田という弁護士は大分駅から別府駅のわずか五分ほどの間になにものかによって殺害された。第一発見者は車掌の佐野という五〇歳の男で、座席と切符の照合のために巡回していたところ、五号車のちょうど真ん中の辺りで泡を吹いて座席に身を沈めている岸田をみつけた。周囲に気づいたものはなかったらしい。杵築駅で緊急停車をした特急ソニック一二六号の車内は騒然としていた。先を急ぐビジネスマンは声をあらげ、未だに事情を飲み込めていない学生らは周囲と勝手な憶測を語る、気分の優れないお年寄りを介抱する看護師が医者を求め、そのなかで本を読み続けているのは祐だけだった。本とうつつを隔てているものはなんなのだろうか。祐は文字から目をそらし、少し考えてみた。しかしそれは誰にも見えることのない隔たりであるのにもかかわらず、そのわりにはあまりにも日常のなかで垣間みることのできる、じぶんたちを取り巻いている現象そのものなのかもしれない。本のなかで起きる事件をじぶんの目で追いかけていながら、また、本を持つ手とじぶんの視野は最も至近距離であるはずなのに、それでも感じるたしかな隔たりがある。
祐は本を閉じ景色に視線を移した。うしろに流れて行く景色は自然に満ちている。自然? 自然はどこか不自然でもある。決して明瞭な輪郭とはいえない静物が呼吸をはじめる。祐はそのように考えてみた。動いているはずのないものが、じぶんが動くことで動き出す。じっさいに祐が動いているわけではなくて、祐を乗せたソニックがものすごい速さで動いている。するとじぶんがいま、運ばれているのだという感覚が強くなってきて、たとえば勝也がいまみたいにまだじぶんで歩行することができなかった小さなころ、両手で抱えている勝也を「置く」と表現してしまった祐は、久実からひどく叱責されたことを思い出した。あまりにも強く責めるので、そのあいだ中、まるでじぶんが血の通っていないモノのような扱いを受けているように感じたのを覚えている。
祐はさまざまなことを考えるのに時間を費やした。その甲斐あって四〇分の電車の旅はあっという間に過ぎて行き、目的の場所まで祐の身体と思考を運んだ。
――いま着いた。どこ?
祐はLINEで神楽坂に宛ててメッセージをした。すぐに返事がきた。
――魚町のドトールにいる
これでひとり旅は終わる。魚町のドトールで待っている神楽坂に会えばその時点からひとり旅ではなくなってしまう。祐は自宅から大分駅までの、大分駅から電車に乗って小倉駅に到着するまでの、短いひとり旅の終わりをしみじみと胸でかみしめながら、コンコースを出て空をみあげた。灰色の空を背景に、モノレールの線路が駅ビルに向かって突きささっている。祐は小倉を訪れるといつもその場所で空をみあげる。そして在来線やモノレール、新幹線のさまざまな路線が入り込んだターミナル駅の精密な構造に、いつも驚かされる。その建造物を作ったのも人間であれば、それをみて驚かされるのも人間であり、なぜ驚くのか、驚いたときの人間の脳の働きを説くのも、説いたものを知りたがるのも、知って驚くのも人間なのだと思った。そうやって思ったことを口に出すことはなくても、一度思ったことを考えて頭のなかで言葉にまとめ、それをアウトプットするか否かはまた人間に決定権がある、と考えると祐はとても不思議な気持ちになった。ターミナル駅の喧騒と同じように思考が行き来する。モノレールが駅ビルに突きささっているだけで、それを引き抜いたらどうなるだろうか? それも祐という人間の思考であり、じっさいにモノレールを駅ビルから引き抜いてしまったとすれば、祐という人間の思考の暴走の果てにそれは転がっているのかもしれない。思考の暴走の果てには、モノレールが転がっている…… 祐は笑いをこらえるのに必死だった。
それからいつものように、コンコースを出てすぐの場所にある喫煙コーナーに向かった(※)。しかし灰皿は撤去されていた。半年前にはたしかにそこに存在した喫煙コーナーが、時流に抗えずどこかへ流されていた。どこに? 現代の、みえないところに! 喫煙者にとってつらい時代になってきた。小倉駅の喫煙コーナーがなくなったのを機に、煙草をやめるという選択があってもそれはそれでオツな気がする。なによりも煙草をやめることで経済的な負担が減り、久実が喜ぶかもしれない。
※しかしよくよく考えてみれば、それまで意識のなかにはなかった、じぶんが喫煙者だということを、小倉駅の喫煙コーナーの不在により知覚し、それを機に禁煙を考えはじめるというところにまで考えが及ぶことで、じぶんはじぶんのことをどれだけ知らされていないのかを実感した。
祐は神楽坂が待っている魚町のドトールに向った。何本にも枝分かれしたアーケード街を進むと、黄色い看板をみつけた。外から二階建てのドトールをみあげた。喫煙席は二階の窓側にあり、ちょうどそこに神楽坂の顔があった。神楽坂は煙草を吸わないが、煙草を吸うぼくのためにその席を確保してくれているようだった。窓に向って右手をあげた。窓の向こうの神楽坂もぼくをみおろしながら手をあげた。
これで祐のひとり旅は終わった。
整合性があったりそこを強調された小説をどうしても好きになれない、腑に落ちるという読後感がある文章をじぶんが望んでいない、というその感覚には説明のしようがなくて、ぼくはむしろその感覚自体に興味をもちつづけて読んでいきたいし書いていきたい、といった神楽坂に対しての羨望のきもちが祐の胸のなかに湧いてきた。神楽坂に会うといつも文学の話になる。神楽坂の読書量にくらべて祐がこれまでに読んできた本の数はまだまだ少ない。
「はじめから共感を覚えるものというのは、もうその時点で小説ではなくなってしまっているとぼくは思う。かといって読み終えたじぶんをひとつの方向に強引に向かせるようなもの、読後に説得される感慨に満たされてしまう文章も、小説であってほしくない」といい、神楽坂は残りのコーヒーを飲み干した。
祐は勇ましく弁を振るう神楽坂のことを少し苛めてやりたいと思った。
「読んで理解したり納得するという感覚が即座に立ち表れることを否定するならば、神楽坂はどういったものが小説だというんだ?」
「人間はとてもあいまいなものなんだ」神楽坂は祐の問いかけに対する答えをあらかじめ用意していたかのようにすんなりと答える。「そのあいまいな人間が書いた文章ほど存在の危ういものはない、とぼくは思っていて、書いた人間は頭で考えて文字に起こすのだけれど、その頭で考えたすべてのものを文字に起こすわけではない、ある程度の整理をだれにもみえない場所で行ってまとまったときにようやく書き始めるだろ? もっというと、未整理の状態の思考はその人間以外のだれもみることができない。なにを考えてなにを思っているのか、それは本人にしかわからないことなのに、それを明文化されることで、そのひとのすべてがそこにあるかのように錯覚するんだ。それは書いた本人もそうだし、読んだこちら側の人間もそうだ。書かれたことがすべてであるはずがない」
「書かれたことがすべてではないからといって、でも書かれたことしか読むことができないじゃないか? その書かれたものを読んで腑に落ちるのは当然で、書いたひとが整理しているからだろ? 相手を落とす、納得させる、それが書く力、力量なんじゃないのか?」
「たしかにその通りだ。文章の力というものをみたときにはその通りなんだが、人間はあいまいな生き物だよ(※)。そうやって書かれた文章のようにすべてが整っているほうが不自然だとは思わないか?」
※神楽坂のいう人間のあいまいさ、これは単に詭弁であるとは思えなくて、たとえばじぶんが首に痛みを覚えたときにも感じていたことだった。「痛い」と感じるじぶんと「痛い」と感じるじぶんを俯瞰するじぶんがそこには存在していて、さらに、それを描こうとしているじぶんが存在する、どこを頂点とするべきなのか定まらないあいまいな三角形を作り上げてみたが、それがどのように伝わっているのか、それ自体があいまいのなかのあいまいではないか。いいかえると、「痛い」と感じている祐は、たったいま「痛い」と感じているのだが、祐はいま「痛い」と感じているだけのひとであって、それ以上でもそれ以下でもない。そこには前後の脈略がない。たとえば祐というひとりの人間を形成した過去や、両親のこととか出生の秘密であるとか、祐の周辺情報、バックボーンを抜きにして物事が進んでいくことは、この現実の世界ではありえないし、人間は突然そこに存在するわけではない。人間のあいまいさを語っているだけのように思えるが、じっさいに書くことで伝えようとしていることを、ここにこれまでに読みとったひとはいないはずで、さらに事前に思考したものを直接みることのできるものの存在も皆無なはずだ。それが可能だとすれば目の前にいる神楽坂か、あるいは祐だけにかぎられている。
「神楽坂がいっている意味はなんとなくわかるのだが......」祐は冷めてしまったコーヒーをひと口すすった。「じゃあ、ぼくたちはどうやって小説を読んで、どうやって読み解いていくべきなのだろうか」
神楽坂はその質問を待っていたかのように、片方の口角を持ちあげて微笑し、しかしその答えをもったえぶるようにじぶんの目の前のカップを持ちあげて、すでに飲み干したはずのコーヒーをすするそぶりをみせた。
「疑う」神楽坂はいった。「疑うしかないのだと思う」
「それは書かれているものを疑う、そういうこと?」
「そうだ。たとえばきみが読んで理解したつもりであったとしても、じぶんが理解したことに疑いの目を向けなければならない。きみの解釈や理解が…… いや、きみが理解できる程度の小説をその作家が書くのだろうか、というところまで遡って」
祐はじぶんの読書歴なんかはたかが知れている、という自覚があった。三年。三〇歳を超えてからのたった三年だ。小説を読み、そのなかで作品への理解度が乏しいとさえ感じることがあったとしても、しかしじぶんの理解はじぶんだけのものであって、正解や不正解などないのだとじぶんにいい聞かせ、満足していた。それを、神楽坂は違うという。
「じぶんの理解の範囲、また、ほかの読者からの横槍で得られた考えや情報をもとにした、いわば周辺の理解を取り込んだ程度で、その作品が本当に作品として意味を成すのだろうか? それだと書かれたものがあまりにもむごい気がしてならない」
「じぶんの読み方自体を疑え、と?」
「ああ」
「神楽坂は…… お前はこれまでに読んだ本のなかで、その作品の核をつんだという実感を得られたことはあるのか?」
「ある」と、神楽坂は即答した。「それはこれまで読んだもののなかで比較的、すんなりとだった」
「たとえば、同じものをぼくが読んだとして…… どうだろうか?」
裏を返せばぼくの読解力を試すために聞いているという自覚が、祐にはあった。
「小説には相性っていうものがある。それはたとえば、そう…… セックスと同じでね」
「おまえ、童貞だろうが」と祐はすかさずいったあとで、すぐに後悔した。
神楽坂が突かれたくない部分だったのかもしれないし、それよりも同じ空間にいるほかの客からのじぶんに向けられる冷たい視線を感じたからだった。
神楽坂は顔を紅潮させテーブルの上にあるナプキンを丸めたりちぎったりしながら苛立ちを抑えているようだった。それから一度俯き、上目遣いで祐をみて「きみも、小説に関しては、素人だろ」といった。
「ああ……」祐はそう返事をするしかなかった。三三歳にして一度も彼女ができたことのない神楽坂に対しての配慮を欠いていたことをひどく悔やんだ。神楽坂は黙っている。
祐は少し考えてから「ぼくは小説を読みはじめて、まだ三年だし、じぶんが好きな…… というか、神楽坂のいうような相性がぴったりの作品には出逢っていないのかもしれない」といった。神楽坂の心にできるだけ寄り添おうと努めた。
「つまりきみは……」それまで俯き加減だった神楽坂は、ぼろぼろになったナプキンをテーブルに置き、いった。「文学チェリーだな」
文学チェリー?
「文学チェリーだな…… 文学チェリーボーイ! ハハッ」
神楽坂は笑みを浮かべ、空になったカップをすすった。少し満足したようだった。
祐は胸をなで下ろし「文学童貞ね……」とつぶやいた。
「まあ、三年かじってるんだから、文学素人童貞かな」神楽坂の調子はみるみる良くなっているようだった。
祐からしてみると、そんなことをいわれてもとくに反発心というものがじぶんのなかには育まれないのだが、魚町のドトールで周囲に聞こえるように「童貞」といわれた腹いせに神楽坂がそれをいったのだとするならば、少しはこたえたような表情を神楽坂にみせたほうがいいのかもしれない、と思った。祐は顔にできるだけモノクロを浮かべて黙っていた。神楽坂はふたたび魚町のドトールの喫煙席界隈にただようじぶんらしい空気や匂いを嗅ぎとったようで、これからまた饒舌に語るぞ、という意気込みを背筋に示してみせたのだが、姿勢が良くなった神楽坂の口は開かれることなく、それどころか祐の目にしがみつくようなまなざしを向けていて、まばたきはおろか、呼吸まで止まったかのように三〇秒、いや一分以上身じろぎしないままでいた。
神楽坂の目はブラウンだった。白と茶、茶の真ん中にある黒、その三つの丸は同じようなピッチで小さく中央に集まっていく。あまりにも緻密でウェットな質感、触れたとたんに溶けてしまうのではないか。モノレールは突きささらないだろうと思った。突きさそうと試みても、じんわりとめり込んで低反発にそれを押しかえすだろう。いや、試みようと考えたことをそもそも受けつけてはくれない、思考も言葉も受けつけないのではないかと思った。
真ん中にある黒がときどき大きくなったり小さくなったりしていて、もしかしたら神楽坂は胸を上下させるかわりに、真ん中の黒を伸縮させてそこで呼吸をしているのではないか。真ん中の黒が大きくなったとき、祐はそのなかに吸い込まれるのではないかと思った。その小さな的に、じっさいにはじぶんの大きな身体が吸い込まれるはずはない。吸い込まれるとしたら祐のなかにある、目にはみえないなにか以外にはないはずだった。神楽坂の目の真ん中の黒が大きくなって小さくなって、それからその反動でもっと大きくなって――繰り返しているうちに真ん中の黒が神楽坂の顔面をおおうのには時間がかからなかった。顔面をおおった真ん中の黒はもはやたんなる真ん中の黒ではない、神楽坂の存在そのものを証明するものに成りかわっていて、ひたすらに伸縮を繰り返すことでその存在が大きくなっていく。ついに祐はそのなかに取り込まれてしまった。まさか身体が入るとは!
じぶんというひとつの身体を、神楽坂のかつて真ん中の黒だった、いまや神楽坂の存在そのものを証明するものに飲み込まれていくときの感触は、流れるプールに抗い逆走を試みるときのように、じぶんの身体に対するたしかな圧力とじぶんのもっているすべての力をたたかわせてみたあとの心地よい疲労とそっくりだった。
それから祐はふたつに分かれた道ののぼり方面へと向かった。空間にただよう湿気が祐の身体にまとわりついてくるようで、着ている服をあっという間に湿らせた。ひとつ大きな通りにでると、そこからまた三方向に道が分かれていた。そのなかで見通しの良い広場に続く道を選んで祐は歩いた。そこにはいま現在とそれからこの先のある程度のイメージが広がっていて、それをみた祐は、思わずつばを吹き出してしまった。短絡的だというと語弊があるのかもしれないが、しかしあきらかにそのイメージに辿りつくまでの中途が省かれていて、すでに出来あがっているものはじぶんの許容範囲をはみ出している。神楽坂のイメージは「無」だった。しかしそれも神楽坂らしいと祐は思った。祐は踵を返し広場をあとにした。
広い通りへとふたたび戻ってきた祐は、そのとたんに違和感を覚えた。踵を返す?
祐は「踵を返す」というあたり前に使っていた言葉につまずいてしまった(※)。言葉につまずくというよりは「踵を返す」に足をすくわれる、つかまれてうしろに引っ張られるという感じだろうか。
※たしかに小説でよく目にする「踵を返す」を祐がはじめて使ったときの、地に足のついていないふわふわとした心地は、それをやりなおす充分な理由になり得るのだった。
祐は広場に続く道に戻り、あたりを見回した。目の前に広がる景色のなかに、階段状に積まれたブロックをみつけた。祐はそのブロックの場所までいくとA四サイズのインフォメーションスタンドに記載された文字を読んだ。
「スピーチ」というタイトルらしき括弧書きの下にその文章は続いていた。
――えー、僭越ながら私のほうから、言葉のプレゼントをひとつ。
結婚には三つの坂があるといわれております。
のぼり坂、くだり坂……それに神楽坂! (ここで笑いが起こる)
なんつってね、うける~、ってのは冗談でありまして、こんなところで冗談をまさかいうとは、あ、まさかって、これで坂が四つになっちゃった! (完璧)
っつってね、うける~。
インフォメーションスタンドの横に積まれたブロックにはそれぞれ「のぼり坂」、「くだり坂」、「神楽坂」、それから一番下の「神楽坂」に立てかけてあるブロックにも「まさか」と文字が彫られている。すべては鉄板の土台の上にある。よくみるとそれらはホコリをかぶっていて、長いあいだそこに置いたままの状態だったということがうかがえる。この結婚式のスピーチと思しき情報類は一度も使われることがなかったのかもしれないし、朽ちかけたブロックの風合いから、おそらくは祐と久実とが結婚したころに作られたものではないか?――祐は神楽坂を結婚式に呼ぶべきだったと後悔した。しかしそれは仕方がないことだった。久実が神楽坂に対して苦手の意識をもっていたからで(※)、じぶんと結婚するか神楽坂を呼ぶかの選択を久実から迫られたとき、祐は即、結婚を選んだ。少しは考えるべきだったし、考えるふりだけでもすべきだったのかもしれない。じぶんの言動を憂う。憂うすがたを味わうように憂う、そのようすを俯瞰する。
※「生理的に無理」の意。
そのときだった。なにか大きなものが祐の身体をかすめた。間一髪で身をかわすことができた祐は、それが着地したほうへと身体を向けた。畳一枚分の大きさのベニヤ板に「文学チェリー」と書かれていて、表面がつやつやしていた。最近作られたものらしい。そのほかにも神楽坂によって作られたありとあらゆる文字が転がっていることに気が付いた祐は、その広場で過ごすひとときをひどく気に入り、ひとり旅にでる前の日の興奮がよみがえってきた。眠れないのならば眠らなければいいと肝を据える寸前の、眠りに落ちる瀬戸際の、じぶんの意識と無意識のはざまをふらふらと歩いているときのずっと前の身体が再現された。
あまりにも興奮しすぎて広場のなかを駆けだした。ときどき文字につまずきながら、ここで倒れても痛くないことを知ると、つまずくことを怖れずにひたすら全力で走り続けた。無意識に表情が緩んでいるのがわかった。声にだして笑いだしたことも、腕を大きくふっていることも、ときどきスキップをすることも、それから小指が立っていることも! るんっ。
「きみ、大丈夫なのか?」といった神楽坂はいつの間にか二杯目のコーヒーを注文していたが、カップの中身はすでに半分ほどしか残っていなかった。「どこか遠くにいってるみたいだな? 大丈夫か?」
「あ? 大丈夫だ…… それよりコーヒーを注文したのか?」
「ああ、二〇分くらい前に一階に降りていくのを、きみもみていたじゃないか?」
そんなに長いあいだじぶんはなにをしていたのだろうか。祐は思った。そもそもじぶんは神楽坂の目のなかに入り込んでいって、それで……
「それより、きみさ。きみが書いた小説、どうするつもりなのさ?」神楽坂はコーヒーをひと口すすった。
「るんっ?(※) 小説?」
※驚きが強すぎて思わず「るんっ?」と声を発した祐は、それでも訂正することなくうやむやにしたまま言葉を続けた。
「ぼくの、ぼくの小説だって?」
「ああ、たったいまきみが書いている小説なんだけど…… 不思議なことに、ぼくもでている、そのなかでぼくは動き続けているし、コーヒーを飲んでいる、いまも書き続けている小説のことさ」
「ぼくが書いている小説をなんで神楽坂が知ってるんだ?」それも神楽坂が登場し、そのなかで二杯目のコーヒーを飲んでいることまで平然といいあてられたことに驚きを隠せないでいた。
「ついさっきスキミングさせてもらった、といえばSF小説のようでおもしろいだろうか? まあそれは冗談なんだけど、きみはこの小説をどこかに応募する予定はなかったのか?」
「ほんとうは、寿町文学賞(※)に応募しようと思っていたんだが......」祐はいった。
※福岡県福岡市博多区寿町の乾物屋「ノリさん」が主催する文学賞に作品を応募しようと考えていた。作品の案は三〇にも及び、そのなかでもあきらかに賞の雰囲気に向いていない二五を省き、残りの五の案を練りながら、芽がでてきたもの二に集中することにした。一方がこの小説で、もう一方は書きはじめて間もなく筆が止まってしまった。
「やめたほうがいいだろう」神楽坂は鼻で笑った。「まずメタ・フィクションは公募でうけない」
「メタ? いや、メタを書いているつもりはないのだが――」といい、しかし不安になった祐は画面(※)をみた。
※あなたがみている画面
※じぶんが書いているものがメタ・フィクションの構造をとっているか否か、そのことに対しては意識する必要はない。そもそも読者のメタ・フィクションを読んでいるという意識が、書かれたものの本質を見失うひとつの理由になることはあきらかで、ではなぜ書かれているものはメタ構造をとっているのか…… それはわからない!
「ぼくがさっき、核をつかんだことがあるといった作品なんだが」神楽坂はいった。「それは『インサイド/アウトサイド・ナラトロジー』という作品なんだ」
祐はなるほど、と思った(※)。
※「インサイド/アウトサイド・ナラトロジー」の本質を見抜くことが可能なのは神楽坂と祐だけにかぎられている(※)。
※厳密にいうとほかにもいる。
「きみは安心しているばあいじゃない。きみはずいぶんと重大なことを忘れている」
「重大なこと?」祐は煙草に火をつけて、訊ねた。
「ああ、重大なこと。その小説の目的(※)。きみに取り込まれたときに気がついたことがあって、きみの血の流れはずいぶんとスムーズではない。血管を圧迫しているせいか、首に痛みを感じてはいないだろうか? 聞くまでもないのだがしかし、おそらくはきみが使っている枕があってないからじゃないか?」
※序盤参照
久実の口から吐かせるはずだった台詞を神楽坂が奇妙なタイミングでいってしまった。ここで終わってもいいのかもしれないが、続けた。
「それから、ぼくはきみにいったはずだ。整合性があったりそこを強調された小説をどうしても好きになれない、腑に落ちるという読後感がある文章をじぶんが望んでいない、というその感覚には説明のしようがなくて、ぼくはむしろその感覚自体に興味をもちつづけて読んでいきたいし書いていきたい、と」
「ああ、たしかに聞いた」
「ただちに※をやめるべきだし、ぼくやきみを使ってさまざまな出来事に対しての補足をやめるべきだとは思わないのか? 補足はわずらわしい」
祐は首が痛みだした(※)。
※それまで「痛い」と感じる祐の存在が希薄になっていたが、ここで「痛い」と感じているじぶんとそれを俯瞰するじぶん、さらにはそれを描こうとするじぶんをふたたび再現することが、重要なことなのかどうかは定かではないが、小説を進めるにつれて、たしかに「痛い」と感じていたじぶんを忘れているのではないか、と疑いの目を向けられないように改めて記述しておく必要を感じた(※)。
※ハリボテ。
しかし、神楽坂のいう小説の目的とはいったいなんなのだろうか? 「枕があっていない」と久実にいわせることだけが目的ではないはずで、ここで「痛い」と感じる祐のひとり旅のスケッチをすることが達成に結び付くわけではない。かといって、ここで新たな物語を構築していく意味を見いだせないでいる。
「物語? 物語とは、さてなにか。ぼくが感じる物語ときみが感じる物語には大きな差異がある。ぼくが読んでそこに物語を感じる。きみが読んでそこに物語を感じる。そのふたつの物語が一致するとはかぎらないわけで、かといって一致しないともかぎらない。これもぼくがさっきいったはずで、つまり人間はあいまいで、そのあいまいな人間が書いた文章ほど存在の危ういものはないということなんだ。存在があいまいなものが書いたものを読んで感じる物語は危うい。そして人間の存在のあいまいさは、すでにここで語られているし、これからそれを証明するかのような文章が、祐、きみ自身の手によって付け加えられることだろう……」
饒舌な神楽坂を祐は鬱陶しいと思った。その存在を煙草と一緒に揉み消したい。
それは簡単なことだった。BACK SPACEキーやDeleteキーで即座に可能なことだった。しかし祐は過去をそのまま残し、それ以降をバッサリ切り落とすほうを選択した。目の前の神楽坂は消えたし、これからもでてこないだろう。まだ記憶の片隅に残っているのであれば広場でもう一度暴れる必要があるのではないか? 暴れてつまずいてころんで叩き壊す必要があるのではないか。だれの広場? 今度はじぶんの広場で!(※)
※しかしそれは考え過ぎなのかもしれない。そもそもその広場に神楽坂の存在や、いま書かれている小説そのものが移行する可能性は極めてゼロに近いはずで、じぶんが書き続けることをやめさえすれば、自ずと失われていくものなのだろう。
失うということは、ひとり旅の記憶も失われるということだ。じぶんの首の「痛み」もひき、かつてじぶんの妻であったものの存在も他人になり、抱えて「置く」と表現した子どももひとではなくなり、じぶんが日本人であったと認めた時間は取り戻すことができなくなり、泡をふいて死んでいた男は笑顔のまま目的地までソニックで運ばれ、ソニックが電車とはいいきれなくなり、ターミナル駅の複雑な構造が灰色の空と同化し、これまで語り合った者と語り合った内容が消滅することをあらわす。転がったモノレールはついにみることはできず、唯一の筋であったはずのひとり旅も、筋のあじわいを失い、それどころか帰路を描かれることなくバッサリと切り落とされる!
祐はじぶんのカップに口をつけ、ひと口すすると「これから、ぼくはなにを書けばいいだろうか」と目の前にある空になったカップに話しかけた。
祐? 誤変換! 祐は祐ではなく裕であり、祐という存在などはじめからなかったのかもしれない。そして裕はじぶんの両手の指をバッサリ切り落とし、これからこの小説の先が描かれないように、それまでのものを画面のなかに閉じ込めた。バッサリ切り落とされたことが事実であるのか、嘘であるのか、じつはだれにも分からないし、そもそもそれらが裕の手によって書かれたものだったのか、裕というものがいたのかも定かではない。便宜的に裕をここに置いてみたにすぎない!
裕はまたひとり旅にでる準備をはじめた。それは興奮と緊張を伴うものだった。これからふたたびひとり旅にでる!
ふたたび? あるいははじめての。
(了)(※)
※「完結」の意(※)
※あいまい
(了)
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